昔のキャバクラには、今とは少し違う時間が流れていた。
キャストが席につき、お客様と話す。少し時間が経つと、こんな一言があった。
「一杯いただいてもいいですか?」
キャストドリンクは、今では一杯2,000円を超えることも珍しくない。1,000円だった時代は、もう遠い昔の話なのかもしれない。
けれど、値段が変わっても、本来の意味まで変わったわけではない。これは「飲み物を買ってもらう」という話ではない。
あなたと同じ時間を過ごしてもいいですか。
その意思表示だった。
一本のマッチと、一杯のドリンク
マッチ売りの少女は、寒い夜に一本のマッチを売り、小さな火を灯した。その一瞬だけ、寒さを忘れられる。
キャバクラのドリンクも、少し似ている。
一杯のドリンクが入り、お酒の注がれたグラスが運ばれる「ありがとう」と笑う。そして、その席にいる時間が少しだけ長くなる。
たった一杯。されど一杯。
その一杯には、お客様からの「もう少しここにいて」そんな淡い気持ちも含まれていたように感じる。
いつから「作業」になってしまったのか
ところが、いつからか変わってしまった。
ドリンクをいただくことが「売上を作るための作業」になった。席についたらドリンク交渉。飲めなければ嫌な顔。断られれば不機嫌。そして「ドリンクをくれないお客様はケチ」という空気まで生まれる。
でも、それは少し違う。
ドリンクは権利ではない。いただくものだ。だからこそ、「一杯いただいてもいいですか?」という言葉に意味がある。
昭和の夜にあった、不器用な優しさ
昭和の夜には、今よりずっと不器用な優しさがあった。
男は見栄を張った。女はそれを少しだけ分かっていた。
「もう一杯飲む?」
「じゃあ、いただこうかな」
そんなやり取りの中に、夜の遊び方があった。
お客様はお客様であり、キャストはキャスト。その距離感を壊さないまま、酒を飲み、話をして、笑って、少しだけ夢を見る。それが夜の商売だった。
「どうやって取るか」ではなく「なぜいただけるのか」
もちろん、時代は変わった。物価も上がり、ドリンクの値段も上がった。キャストの報酬も変わり、店の経営も難しくなった。
だから、ドリンクをいただくこと自体を否定する必要はない。キャバクラという商売において、ドリンクは大切な売上だ。
問題は、「どうやって取るか」ではなく、「なぜいただけるのか」を忘れてしまうことだ。
一杯2,000円、あるいは3,000円。それだけのお金を、お客様はグラスに注いでいる。そこには酒代だけではなく、そのキャストと過ごす時間への対価が含まれている。
だからこそ、「いただいて当然」になった瞬間、その一杯はただの数字になる。
小さな火を灯すということ
マッチ売りの少女は、一本のマッチに夢を込めた。キャバクラのキャストも、一杯のドリンクに価値を込めなければならない。
「飲ませてもらった」ではなく、「この子に飲ませてあげたい」。そう思ってもらえること。そこに、キャストとしての価値がある。
一杯のドリンクをいただく。たったそれだけのこと。でも、その一杯を当たり前だと思わないこと。「ありがとうございます」を、本当にありがとうと思って言えること。
それは、昭和だろうが令和だろうが変わらない。夜の商売に残っている、古いけれど大切な作法なのかもしれない。
今日もどこかの店で、「一杯いただいてもいいですか?」という声がする。グラスに酒が注がれ、氷が小さく鳴る。そして、ほんの少しだけ、その席に温かい火が灯る。
まるで、遠い昔のマッチ売りの少女が灯した、小さな火のように。

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